介護の仕事は「やりがいだらけ」の「やりがい搾取」

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介護の仕事は「やりがい」があります。
それは本当に間違いありません。
介護職員は利用者のケアだけではなく
・記録
・評価
・提案
・会議

などの多種多様な業務があります。

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◆「やりがい」だらけ

「やりがい」と言うと聞こえが良いですが、休む間もなく業務は尽きません。

①休憩を削ってでも利用者の対応をする

利用者という「人間」を相手にしているのですから、常に「待ったなし」です。
「ちょっと待って下さい」
などと言おうものなら
「スピーチロック」
と言われ今の介護業界では忌み嫌われます。
お陰さまで、ゆっくり休憩をする時間もなく、利用者の見守りをしながら数分間の食事を摂るのがやっとの現状です。
自分の食事をしている最中に利用者がトイレに行こうとしていれば、モグモグと咀嚼をしながらトイレへ案内し排泄の介助をします。
【参考記事】
休憩が取れないのも「サービス残業」皆さん休憩取れてますか?

②現場で残業をした後に更に残業をする

人員不足で現場対応ですらそんな状況ですから、書類やパソコン入力や事務仕事は現場で残業をした後に更に残業をして行うことになります。
その書類だってクオリティの高い内容でないと、上司やケアマネからダメ出しをされてしまいます。
とても「やりがいがある」と言えます。
【参考記事】
介護職員を苦しめる「モニタリング」について詳しく解説します

③利用者のニーズや夢を叶える仕事

介護職員は利用者のニーズや夢を叶える仕事と言われています。
・自立支援
・利用者本位

のケアを行うことで利用者を支援します。
精一杯、自己犠牲を払い自分の人格や感情を抹殺した上で、利用者を幸せにするためだけに業務を行います。
「ありがとう」
と言ってもらうだけで心が救われることもありますが、認知症の利用者の場合はそういう言葉を期待することも難しいので、
「恐らくそう思っているであろう」
という空想と想像の上でケアを行います。
いつの間にか、
「利用者のためなのか家族のためなのか」
「利用者のためなのか加算を取るためなのか」
「利用者のためなのか世間体のためなのか」
「利用者のためなのか監査のためなのか」

がわからなくなり
だんだんとそれも気にならなくなってきます。
気にしていたら業務に支障が出るのに、研修では気にするように教えられる類まれなる業界なのです。
以上のように、介護の仕事は「やりがいだらけ」になります。
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◆そして「やりがい」を搾取する

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介護の仕事は「やりがい」だらけです。
その点だけをフューチャーしているのが今の介護業界です。
やりがいはわかったけど
「待遇は?」
「給料は?」
「福利厚生は?」
「退職金は?」
「将来性は?」
「業務に見合った付加価値は?」

などという質問をするのはタブー視されます。
「福祉は自己犠牲が基本ではないか」
「ボランティア精神が大切ではないか」
「これだけやりがいがある仕事は他にないではないか」
「やりがい以上のものを求めるのは心が汚いのではないか」
「そんな図々しいことをいうものではない」

という綺麗ごとが炸裂します。
つまり、
「やりがいだらけ」=「やりがいしかない」
と言えます。
どの仕事でも業界でも「やりがい」があるのはわかっています。
問題は「やりがいしかない」ということなのです。
もう「やりがい」だけで
・人材を確保しようとする
・魅力的に見せようとする

ということは限界がきています。
本当に図々しいのは「やりがい」だけを前面に押し出して良い印象を与えようとしたり、自己犠牲を当然のものとして労働力をタダで使おうとする「やりがい搾取」を平然と行っている
・国
・行政
・介護業界
・介護事業所

であると言えます。
搾取されるだけの「やりがい」に何の魅力もないのは歴然です。


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コメント

  1. primex64 より:

    やりがい搾取、なるほどな比喩ですね。
    要は、一般企業でサービス残業を強いるのと同根で、自己犠牲の下、組織に無償貢献するのが当たり前だろうという考えですね。不当労働強制行為です。

  2. 山嵐 より:

    >primex64さん
    こんばんは~
    コメントありがとうございます^^
    不当労働強制行為は介護業界に根付いています。
    最近やっと介護職員の処遇改善や労基署の指導などが入り始めた段階で、とても闇深い業界と言えます。
    やはり、その根幹には宗教法人を母体に持つ福祉法人が多いことや、認知症介護が閉鎖的で排他的な介護施設という「ムラ」で行われてきたという背景があります。