「誰かが覚えている限り命は続く」人間は三度死ぬ

Pocket

l_011.gif
前回『【新オレンジプラン解説(1)】「認知症サポーター」「オレンジリング」とは?』という記事を書きましたが、「新オレンジプラン」の4つ目の柱に「認知症カフェ」という政策があります。
今回は「認知症カフェ」に関するニュースをご紹介したいと思います。

スポンサーリンク

◆ニュース概要

「僕はあなたを覚えている」 認知症の妻の手握り思う

2008年の初め、神戸市内で認知症をテーマにした集いが開かれた。主催は、患者の家族や支援者らでつくる「認知症の人と家族の会」。告知の記事を読んだ山崎敬一さん(68)=兵庫県養父市=が初めて参加し、その後認知症を患う妻の真佐子さん(68)も共に通うようになった。
 当時自宅で、体にまひがある実母の介護もしていた敬一さん。病気の妻には心を尽くす半面、母に義務的に接する自身の態度に気付くこともあった。「僕は二重人格なんじゃないかと自分を責めました」。集いで告白すると、周りは「みんなそうなんやで」と受け入れてくれた。妻の変化に対する戸惑いや怒りも理解してもらえた。
 介護休暇に息子の大学院の進学話が重なり、預金通帳とにらめっこする日々が続いており、集いで介護保険などの情報を得られたのも助けになった。何より、これからどう妻と接したら良いのか、前向きに考えるヒントを得られた。
 「暗闇の中でトンネルの出口を見つけた気がした」。08年3月、真佐子さんが退院したのを機に、夫婦そろって早期退職した。その後も、できる限り2人で集いに通った。
     ◆
 18年2月、養父市の交流施設で開かれた、介護の悩みを語り合う「認知症カフェ ここあん」。敬一さんが患者の家族たちと、雑談に花を咲かせていた。この日初めて訪れた女性は、悩みを聞いてもらい、帰る頃にはこわばった表情が少し和らいでいた。
 13年から月1回、但馬初の認知症カフェとしてスタート。発起人たちの中心となったのが敬一さんだ。ある時、但馬の介護経験者らで介護の話題で盛り上がり、但馬に語らいの場をつくる必要性を痛感した。その後、保健師や社会福祉協議会の協力を得て、カフェ開催を呼び掛けた。「自分は家族の会で生きる力をもらった。介護に悩む人も経験者と触れ合えば、きっと暗闇から抜け出せる」
 認知症カフェは現在、「ここあん」を含め、但馬で15カ所ある。真佐子さんが14年に特別養護老人ホームに入所したことで余った時間を、敬一さんは経験を伝えるための“カフェ巡り”に充てている。「活動を通じて新しい人に出会い、旧友にも再会できた。妻のおかげ」。人と人との距離が近い但馬では、患者やその家族、支援者と、次々と人間関係が広がっていく。
 敬一さんは近年、講演会などにも力を入れ、1カ月の予定はほとんど埋まっている。それでもほぼ毎日、真佐子さんに会いに行く。
 日当たりの良い部屋で、年々動かなくなる妻の手を握り、こう思う。「介護される人にも大きな役割がある。あなたが全て忘れてしまったとしても、僕は覚えている。誰かが覚えている限り命は続く」
【引用元】神戸新聞NEXT 3/11(日) 15:00配信

在宅介護をされていた敬一さんが、いち早く「認知症カフェ」をスタートさせ、今では在宅介護をしている人達の「心の拠り所」となっているというニュースです。
このニュース記事でとても印象的だったのは、最後の一文
「介護される人にも大きな役割がある。あなたが全て忘れてしまったとしても、僕は覚えている。誰かが覚えている限り命は続く」
という言葉です。
(スポンサーリンク)

◆人間は三度死ぬ

sleep_yutai_ridatsu.png
「人間は三度死ぬ」という話をご存知でしょうか。
誰が言い出したのか、
その内容にも諸説あります。

諸説①

1度目 本人の死
2度目 当人を知るものが全て死んだとき
3度目 生きていたという記録の消滅

諸説②

1度目 肉体がなくなったとき
2度目 人から忘れられたとき
3度目 DNAがこの世から消えたとき

諸説③

1度目 肉体がなくなったとき
2度目 DNA情報や記憶や記録がなくなったとき
3度目 肉体は生きているのに情報が途絶えてしまったとき
どれも似ているようで若干違いますが、1度目の死は共通して「肉体(本人)の死」ですね。
ここで思い出されるのが、先程のニュースの最後の一文「誰かが覚えている限り命は続く」という言葉です。
これは、上記の諸説に当てはめて考えると
・肉体がなくなってしまっても誰かの記憶に残っていれば命は続く
・肉体が生きていても記憶から抹消してしまうと死んだも同然

という2つの読み取り方が出来ます。
「とても深い言葉だなぁ」
と感じました。

◆今後増えそうな死

roujin_kodokushi.png
人間は誰であってもいつかは死を迎える時がきます。
「その死が三度ある」ということを書きましたが、諸説③の3度目の「肉体は生きているのに情報が途絶えてしまったとき、という死」が今後増えていくのではないかと思っています。
既に社会問題となっている「孤独死」に該当します。
孤独死は肉体の死ですが、引き金となった原因が
・外部からの情報遮断
・他者との交流断絶

ということにあると考えられます。
それは、自分からそうしている場合もあるでしょうし、否応なしにそうなってしまった、結果的にそうなってしまったという場合もあるかと思います。
他者からも社会からも存在を認められていない時点で
・社会的に死んだも同然
・生きながら死んだも同然

という状況が作り出されているのです。
今後益々、超高齢社会となり
独居高齢者も増えていくことでしょう。
自分で助けを呼べたり、何らかのアクションを起こせるうちは良いですが、知らぬ間に重度の認知症になってしまったり、突発的(あるいは慢性的)な病気の発症により助けを求められなかった場合は、「生きていながら死んだも同然」と言えるのではないでしょうか。
そういうことを防いでいくためにも「社会全体で支える仕組み」が急務となっているのです。


介護職員ランキング

コメント

  1. primex64 より:

    死の概念と定義ですか・・。深く、そして悩ましい問題です。生き物が誕生し
    、一定期間経過後に死亡する確率は例外なく100%ですからね。こんな確実な真理はありません。DNAの途絶、はたまた情報の途絶という定義も理解できますね。

  2. 山嵐 より:

    >primex64さん
    こんにちは~
    コメントありがとうございます^^
    そうですね。
    不変の真理ですね。