【ヒドいのはどっちだ】「私は認知症者が嫌いだ」と言って介護業界を去って行った人に対する発言

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今まで多くの人たちが介護業界から去っていくのを見届けてきました。
「多くの人たち」と言ってもその殆どは「介護職員」です。
転職して他の事業所で介護職員をやるのではなく、全く介護業界から足を洗ってしまう人は、個々に色々な理由や思うところがあって辞めていったのでしょう。
介護業界でもがき苦しむ同士としては淋しい気持ちもあります。
しかし確かに『すぐに介護の仕事を辞めていく人は「実は賢い」理由は?』という記事でも書いたように、「ある意味賢い選択」だとも言えます。
そんな中、あるやり取りを聞いていて悲しくなりました。

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◆頑張り過ぎたから辞めていく人も多い

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介護職員の仕事って本当キリがないんです。
やればやるほど仕事は増えますし、職場にいればいるほど無限にやることが発生します。
24時間介護が必要な利用者が生活しているので必然的にそうなるわけです。
そういう状況の中で働いていると、頑張れば頑張っただけ精神も肉体も疲弊し、骨身は消耗し、骨と骨の間のクッションも摩耗していきます。
「頑張れば頑張るほど頑張れなくなってしまうのが介護業界の現実」
なのです。
ですから、頑張り過ぎると「辞めたく」なってしまいます。
これと言って理由を述べる力さえ残らず、ただただ燃え尽きてしまうことがあり得る仕事なのです。
そうならないように、シフト制で時間を区切り、サービス残業を無くし、人員を確保し業務負担を減らしていかなければならないのですが、そういう良いサイクルが構築できず、未だ人員不足に悩み、職員一人当たりの業務負担が過多状態にあるのが現実です。
そういう状況の中で、力の限り精一杯頑張ってしまう人ほど心が折れてしまいやすくなります。
ですから、「辞めてしまう人ほど頑張った人」だということが言えます。
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◆悲しく聞こえたやりとり

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介護業界を去っていってしまう人が最後にこう言いました。
「私は認知症高齢者が嫌いだ」
一見、差別的で介護の資質の無い発言のように聞こえますが、私はこのセリフは心の叫びに聞こえました。
そもそも「認知症者」を好きな人なんて存在するのでしょうか?
同じ高齢者をケアするのなら、認知症者よりも認知症のない利用者を相手にする方が良いに決まっています。
たまたま、「介護の世界に認知症者が多い」という現実があり、認知症者を相手にする仕事をしているだけです。
認知症者を求めて介護をしているわけではないことは、ご理解頂けるかと思います。
仮に
「私は認知症高齢者が大好きで大好きでたまらない」
という人がいたとすれば
「どう考えてもそちらの方が異常性を感じます」
※「穏やかな認知症者」や「わがままな認知症ではない利用者」など色々な利用者が存在するので、一概に「認知症者だから好きになれない」とは言い切れない所があるのも事実ですが「認知症者LOVE」と言い切れる人が存在することの方が私は怖く感じます。
話を戻しますが
「私は認知症高齢者が嫌いだ」
と吐露した人に対してある同業者がこう発言していました。
「あなたは介護には向いていないと思う」
それを聞いた私はとても悲しい気分になってしまいました。
・辞めていく人間にまで最後の引導を渡す行為
・表面上の言葉尻だけを捉えた精神攻撃
・人を上から評価するエゴイズム

「認知症者が嫌い」=「介護に向いていない」
という方程式を勝手に作り出し勝手に評価しているやり取りに胸が締め付けられました。

◆本当にヒドいのはどっちだ

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辞めていくからこそ吐露できた本心に対して「評価」したり「攻撃」する必要はないと考えます。
そうなるに至ってしまった個人的な経緯や出来事や耐え忍んできた流れを無視して、何故その人の心に土足で上がり込めるのでしょうか。
「だから辞めるのです」
そして、そういうズカズカと他人の心を土足で踏みにじるような発言をすることで
「自分は福祉に向いている人間だ」
「自分は認知症者に対しても尊厳を持って接する福祉人だ」

という妙なプライドを持っているいることが窺えます。
しかし残念ながら、肉体的にも精神的にも疲弊し心折れてしまった人に向かってそういう心無い言葉掛けしかできない時点で「福祉人失格」ではないかと思うわけです。
同じ同士が介護業界から去っていくのですから、理由はどうであれ、まずは
「お疲れ様でした」
と私は言いたいです。
それだけ介護現場や認知症介護が過酷なことはよく存じています。
行きつく先に
「認知症者は嫌いだ」
ということになってしまう可能性があることも十分理解ができます。
本当にヒドいのはどっちでしょうか?
厳密には
「介護職員が認知症者を嫌いになってしまうような劣悪な環境の介護業界にはあなたは向いていない」
というのが正しい言い回しではないでしょうか。
「極限まで頑張っていない人ほど、好き勝手なことを言うものだな」
と思った出来事でした。

コメント

  1. デイちゃん より:

    「認知症高齢者が嫌いだ」と言ってやめた人が、ふだんは我慢強く適切に仕事をしていたのだとしたら、「大変だったんだな」と思うのですが。
    私のデイの認知症じいさんスタッフのように、認知症利用者を憎んでて利用者に対してどなったりしていたとしたら・・・向いてないどころか介護の仕事をする資格はないと思います。
    あと認知症があるよりない方がいい・・というのは違うと思います。
    むしろ、認知症がない利用者のほうが、わがままだったり細かいことを指摘してきたり権利意識が強かったりと、結構うっとうしいですよ。
    認知症があると言っても、他人の迷惑になるような精神病患者レベルのような利用者もいれば、おだやかで優しい利用者もいるので、認知症のあるなしで利用者を分けられないと思います。
    むしろ、人格に問題があるか?他人の迷惑にならないか?などが、嫌いになるかならないかのポイントだと思います。
    昔老健で働いていた時も、「人格に問題がなければ、重度でも別に問題はない」とみんな言っていました。
    ま、重度は結局介助作業が大変なんだけど。精神的な苦痛があるかどうかでストレスの大きさがすごく変わりますね。
    というわけで、
    どっちがひどいか・・・は、「認知症高齢者が嫌い」と言ってやめた人の仕事に取り組む姿勢を知らないと判断できない。
    認知症利用者への態度が適切であったのなら、「向いてない」と言ったのは大きなお世話。
    認知症利用者への態度が不適切であったのなら、向いてないどころか介護で働く資格はないので、「向いてない」と言ったのは言い方が生ぬるい。(笑)
    というわけで、どっちにしても「向いてない」と言う発言は不適切。(笑)
    以上です。(笑)

  2. サイモン より:

    お疲れ様です。いつも楽しみにしています。
    「私は認知症高齢者が嫌いだ」と言って去って行った方も、
    今まで出会った全ての認知症の利用者を嫌いだとは思っていないはず。
    山嵐さんのおっしゃる通り、そういう言葉を口にせざるを得ない状況の中にいて、
    精神的に追い詰められていたのでしょう。
    余裕のない人員配置の中で、
    対応に苦慮するような認知症利用者から業務上離れられないところにいたのかもしれません。
    私は特養の職員ですが、仕事で接するなら断然(笑)認知症の方の方がいいですね。
    まともな人間と思っていないから気楽に接することができているのかな?
    こんな選別をしてるなんて福祉人失格かもしれませんね。

  3. 山嵐 より:

    >デイちゃんさん
    こんばんは~
    コメントありがとうございます^^
    その人の働き方や人となりがわからないと判断できないのは確かですね。
    認知症のあるなしでケアをする上での受け止め方は人それぞれになるでしょうかね。
    もちろん、穏やかな認知症者もいますし、一概には言えなくなってくるのでしょうが、「認知症者が大好き」と言い切れる人はちょっと不気味さを感じてしまいます(これも私の勝手な主観ですが)。
    辞めていった人は、日々頑張っていて、認知症者に暴言や暴力を受け続け心が滅入ってしまったようです。
    どちらにしても「向いていない」は不適切ですね。

  4. 山嵐 より:

    >サイモンさん
    こんばんは~お疲れ様です。
    コメントありがとうございます^^
    認知症者をどう受け止めて捉えていくかにもよるでしょうね。
    本当に一人の人間として尊厳を持って接していくと耐えられなくなる瞬間が誰でもあるかと思います。
    だからと言って耐えられなくなった人に対して「向いていない」と斬って捨てるような業界であって欲しくないと思います。

  5. デイちゃん より:

    お仕事お疲れ様です。
    私もなぜか時々まぶたがけいれんしてる時が・・・って、これはサッカー見たからか。(笑)
    そうですか。やめた人は、我慢強く対応していてもう我慢の限界・・だったんでしょうね。
    でも暴力や暴言となると、認知症利用者というよりは精神病患者だと思うので、精神病院受診して服薬でコントロールしていくのが必要なんでしょうけど。介護職に丸投げだったんでしょうね。そら嫌になるわ。
    認知症利用者が大好き・・なのはキモイですね。
    というか、利用者の〇〇さんはおだやかでかわいらしいから好きなんだけど、たまたま〇〇さんは認知症でもある、というのが正しい表現でしょうか。
    その人を好きになるというか、好ましいと思うのは自然な感情であり、好きになった人が認知症でもあったというのが正しい順序なんだと思います。
    ただ、援助者って、好きとか嫌いとかって感情をあまり持ってはいけないと思うのですが・・・。
    私が今までに出会った利用者さんは、もちろん認知症の方ばかりでしたが、本当にいい人が多かったんですよね。
    デイだから軽度でしょ?と思うかもしれませんが、デイだけど重度ばかりだったけども。
    さらに老健や特養、グルホや有料でも働いたんですけど、ほとんどの利用者さんは認知症でありながら、人格には問題がなかったですね。
    でもごく一部の人間は、認知症があるなしにかかわらず、人格に問題が・・・。
    もしそういう人ばかりが集まった介護施設で働いたとしたら、精神的に病むかもしれません。
    だからやめた人は、「認知症が嫌い」というくらい嫌な人ばかりであったのかも。ちょっと不運だったなと思うんです。
    認知症高齢者にはいい人もたくさんいるので、嫌いにならないで下さ~い!と言ってあげたいです。(笑)

  6. 山嵐 より:

    >デイちゃんさん
    おはようございます。
    お疲れ様です^^
    そうですね、援助者は好き嫌いの感情を持たず、中立公正の立場にいるべきだと言われますね。
    その人も「嫌い」という感情を抱いてしまい払拭できないから辞めていくんでしょうね。

  7. とも より:

    こんにちは。
    長時間夜勤お疲れ様です。お体はしんどくありませんか?
    最近、認知症について考えさせられます。うちの祖母は「認知症にだけはなりたくない」と言っています。これを正論しか言えない福祉職は、差別だと言うのかもしれませんね。でも死ぬまで家族でいたいのは当たり前だと思う 病気含め、なりたくてなる人はいませんがね涙
    認知症がひどくなり、家族含め誰が誰だか分からない、食べ物かどうかも分からない、自分の状況(失禁してきれいにしてもらうのに怒り出す方とか)が分からない方を相手に精神をすり減らし、様々な葛藤を重ねた末に、辞める方に「向いてない」という神経が分からないなあと思いました

  8. 山嵐 より:

    >ともさん
    こんにちは~
    コメントありがとうございます^^
    今日は早朝に目覚めてしまって、仮眠を取ろうと思っていたのですが、結局寝れずじまいで今に至ります。
    病気になりたくてなる人はいないのは間違いありませんね。
    あたかも自分は常識人のフリをして発言する人に限って人の心の痛みがわからないのかもしれませんね。
    そしてそういう人が福祉業界には多いように思います。

  9. めど立てたい人 より:

    記憶が混濁していますが、「福祉は暴力である」という意見に賛同しています。
    いや?「福祉は不要なもの」だったかな?くれぐも反国家・反全体主義的な立場の意見で。
    別記事的に嫌がる/嫌がられると思いますが、福祉って資格が必要なほど高尚なものではありません。
    この業界だけではないですが、誇りは勝手です。個人の意見は無害?ですが、主張した時点でキラキラと同じ有害だと思います。
    私は逆に、認知症嫌いのその人はホントに全認知症への嫌悪・憎悪と感じてみます。
    認知症は知的?と解釈すれば、知的障害者に嫌悪・忌避したことがないかって話です。
    管理人さんの弁護?を見る限り、その人と私は違うでしょう。
    しかし、私も介護労働者になる前は、認知症を軽んじるシャカイジンの1人でした。実際経験すると虐待も殺人も仕方がないと強く認識が変わりました。
    それこそ「資格」があれば、躊躇なくやりたがる人も一定数はいるのではないのでしょうか。

  10. 山嵐 より:

    >めど立てたい人さん
    こんにちは~
    コメントありがとうございます^^
    「一殺多生」の精神に近いものがあるような気がしますね。
    別に嫌がったりはしませんよ。
    人間は感情の生き物です。
    置かれている立場や環境や気分や日によって考え方が変化していくことは自然の摂理だと思っています。
    「変わらないことが美しい」と感じる人もいて「変わっていくから美しい」と感じる人もいることでしょう。
    ただ、現在の自分の考え方を紡いでいくことは大切な作業だと思っています。